「あっ、いらっしゃいませ」
「マスター、いつものね」
「かしこまりました」
10ozタンブラーグラスに四角い氷を2個入れる。バースプーンで氷をカラカラと回し、底に溜まった水分を切る。グラスは冷え、内側はしっとり。そこに、ゴードンドライジン43° (注・47.3°再入荷したので、現在はこちらを使用) 、絞ったライムジュースを注ぎ、しっかり混ぜ合わせ、トニックウォーターと少しのソーダを注ぎ軽く混ぜ、ライムスライスを入れて出来上がり。
「くーっ、、、やっぱり蒸し暑い日には、これに勝るものはありませんな」
「冬場でも、いつも一杯目はそれじゃないですか」
「いいのいいの。何かしら適当なこと言ってみたいだけなの。他の店でもやっぱり一杯目はこれなんだよね。そういや、いつも不思議だったんだけど、ライム、幅広くカットして使うところ多いけど、なんでここは薄ーいスライス使ってんの?ライム高いから、ケチってるとか?」「いやいや、ケチってはいませんよ。ライム絞って、そのジュース入れたでしょ。何で大きいカットライム使わないかというと、、、」
「いやいや、マスター、いいよ、説明しなくて。長いからさ。マスターの説明いつも長いんだよね。この間も、何のカクテルか忘れちゃったけど、飲み終わってもまだ説明してたよね。いいよいいよ、美味しいよ。十分美味しくいただいておりますよ、、、やだねー、まただよ、すぐ拗ねるんだから」
「拗ねてませんよ。ただ、ライムはケチってるんじゃなくて、何故そうしているのか、僕なりの理論を理解してもら、、、」
「マスター、マスター、そういえばこの間、ホテルのバーでジントニック頼んだとき、グラスには氷とジンだけしか入ってなくて、トニックウォーターは別にビンごと丸一本持ってきたんだけど、そんなやり方もあんの?」
「そういう提供の仕方もありますよ。でも、長い説明はいやなんですよね?」
「まだ、根にもってんの?これ(ジントニック)飲んでる間は聞くよ」
「映画の話してもいいですか?」
傍白 (やべぇ、もっと長くなんじゃないの、、、)
「えっ?何ですか?」
「いやいや、何でもないですよ。ぜひ、映画の話、聞かせてくださいませ」
「スペインのペドロアルモドバルって監督、ご存じですか?」
「ペドロ何?スペインなら女優のペネロペちゃんは知ってるけど。個人的にはスカ・ヨハが好みだけどね」
「スカ・ヨハですか、、、その何でもかんでも名前縮める近頃の風潮、どうにかならないんですかね?」
「マスター、人のこと言えないよ。この間、シャンパンカクテルのアレンジです、とか言って角砂糖にアブサン垂らしたヤツ作ってたじゃない。で、お客さんから名前聞かれて、『ヘミングウェイだったら、午後の死、と名付けるところですが、アブサンとシャンパン、私でしたらもっとお洒落に、アブシャンと呼びますね』って。いやー今考えても、下らない名前だね」
「分かってますよ、そんなこと。ただ、お客様を笑わせようと、、、」
「引いてたけどね、お客さん。まあ、いいや。続きを頼みますよ」
「何ですか、その一本とったような勝ち誇った顔は」
「しつこいねー、ほらほら、ジントニックなくなっちゃいますよ」
「まあ、いいですけどね。で、そのペネロペ・クルスも出演しているアルモドバルの『ボルベール 帰郷』って作品の中で、ペネロペが、モヒート出来たわよー、と言って、ズラっと並んだカクテルをカメラが捉えるシーンあるんですが、どう見てもフローズンカクテルなんですよ。ダイキリかマルガリータかは忘れましたが。まあ、モヒートをフローズンに仕立てたって言ったらそれまでですがね。で、このアルモドバル、カクテル音痴なんじゃないか、せっかく前作の『バッドエデュケイション』で、僕のハートをわしづかみにしたのに、ちょっとしたことですけと、何なんだ、この体たらくは、とガッカリしたわけです」
「マスター、ジントニックの話なんだけど」
「分かっています。で、このカクテル音痴の次の作品が『抱擁のかけら』で、またまたペネロペも出てますが、肝心のシーンには関係ありません。そのシーンはカジュアルなバーといったらいいかな、それが舞台なんですが、テーブルに男2人、女1人座ってて、ウエイターが男性にはモヒート(前作と違って正真正銘のモヒート)、女性にはジントニックをサーブします。このジントニックがさっきホテルで体験したとおっしゃったのと同じなんです。氷とジンの入ったグラスを女性の前において、その目の前でトニックウォーターを注ぐんですよ。トニックは全部は入りませんから、グラスのそばに置いておきます」
「そうそう、同じ。でも、残ったトニックどうしていいか分からなくて、そのままにしてきたんだよね」
「もう一回、氷とジンだけ頼めばいいんですよ」
「そうか、居酒屋のホッピーで“中“を頼むのと同じことか。なるほどね。勉強になったよ」
「いや、まだ話は終わってないんですよ。いやいや、そんなにガッカリした顔をなさらないで。ジントニックまだ少し残ってますから。むしろ、ここから先の話をしたかったんですよ。このシーンは女性が男性たちに重要な打ち明け話をするところで、映画のストーリーの要の部分です。女性はなかなか話を切り出せないんです。で、目の前のジントニックを一気にあおります。でも、まだ心の整理がつかない。おもむろに立ち上がって、グラスを手にカウンターのバーテンダーに近づいて、目でジンを注ぐよう合図する(トニックはまだテーブルに残っていますからね)。バーテンダーはグラスに3分の1ぐらいまで注ぐんですが、女性は目でもっと、と合図する。苦い顔のバーテンダーはもう少し注ぐ。間髪入れず、目でもっとと女性。結局、トニックを注ぐ余地はないほど並々と注がれたジンを一気にあおって、ようやく気持ちが落ち着き告白するんです。女性の心理をジントニックを使って、上手く表現していますよね。このシーンを観たとたん、アルモドバルごめんね、カクテル音痴なんて言って、と反省しましたねー」
「マスター、ちょうど僕のジントニック終わったよ」
「ようやくお互いの呼吸が合ってきましたね」
「んーと、何を言いたいのかよく分かんないけどね。僕も強いやつ飲みたくなってきたな。ジントニックかなり強めでお代わりね」
「それは出来ません」
「えっ?」
「僕にとってグラスの中は小宇宙なんですよ。ジン、ライムジュース、トニックといった構成分子が微妙に絶妙に、ある意味完全な調和をもって作られているんです。それを崩すことは、ある意味、神を冒涜することと同じなんです」
「マスターさ、この店いつも暇な訳がなんとなく分かるよ」
第一夜『ジントニックとペドロアルモドバル』
