「あっ、いらっしゃいませ」
「マスター、スゴいねー、ここら辺のビル、どれもこれも赤く染まっちゃってるよ」
「えっ? どれもこれもって、特にサイレンは聞こえませんが」
「はっ? 何言っちゃってんの。夕焼けだよ、夕焼け。風情もなんにもない人だねーまったく、、、」
「あー秋ですね」
「『あー秋ですね』ときたよ、まったく」
「お顔もなんか夕焼けのような、、、」
「今日は朝からちょっと具合悪いんだけど、仕事休めないし。少し“百薬之長“でも頂いて、ぐっすり寝ようかなと思ったわけよ。毎度この店暇そうだしね」
「それはありがたいのですが、今日はまっすぐお帰りになられた方がよろしいかと。今、お水をお出ししま、、、」
「マンハッタン」
「えっ?」
「えっ? じゃなくてマンハッタン。色合いが今時分にぴったりじゃないの」
「でも、今の体調にはキツすぎませんか? やはり、お水だけになさったほうが」
「いやいやマスター、僕が飲み過ぎてんなら、酔いざましの水千両っていうぐらいだから、ありがたく水を頂くけどね。今はとにかくマンハッタンをちょうだい」
「いやはや、マンハッタンですかー。マンハッタンをねぇ、、、まー八っつぁん」
「聞こえてるよ。笑えないシャレだね。人を熊だの八だのと、まったく。口はいいから手を動かしな」
「そこまでおっしゃるなら、では」
ミキシンググラスに氷10個ほどを八分目まで入れ、水を注ぎ軽く回した後、水分を十分切る。ここに、ビターズ2滴を落とし、カナディアンクラブ6年、同じく12年、チンザノロッソ(赤いスイートベルモット)をそれぞれ同量程度入れ、素早くかき混ぜた後、丸型のカクテルグラスに注ぎ、軽く水洗いしたマラスキーノチェリー(シロップ漬けの赤いチェリー)をカクテルピンに差しグラスに飾る。
「これですよ、これ。まさに、夕焼けですなー。さしずめ、チェリーは沈む夕陽といったところだね」
「あっ、チェリーは、、、」
「マスター、分かってるよ。すぐには食べないよ。ただのシロップ漬けのチェリーが、しばらくマンハッタンに漬かってると、ホント美味しくなるんだよねー」
「ありがとうございます」
「ところでマスターさ、なんでマンハッタンなのにアメリカのウイスキーじゃなくてカナディアンクラブ使うの? しかも6年と12年と2種類も、、、いやいや、やっぱりいいや。今一瞬目がキラッと光ったよ。『よし来た。2時間位話してやろうか』って感じでさ。いいよいいよ、質問は無し、、、って、また拗ねちゃったの? めんどくさい人だね。じゃあさ、簡単に。なんでカナディアンクラブ使うの?」
「先代が使っていたからです」
「えっ? いやにあっさりと、、、なんかこうあっさりじゃ、質問した甲斐というか張り合いがないねえ」
「先代は戦後しばらくしてバーテンダーの仕事を始めたのですが、当時、先代が参考にしたカクテルブックには、マンハッタンのウイスキーはカナディアンクラブとされていたそうです。多分、アメリカの禁酒法(1920~33)が関係していたんじゃないかと僕は思うんですが」
「あの、酒を造っちゃいけねぇ、売っちゃいけねぇ、ってやつ?」
「あと、輸入もです。でも、実際はお上の目を盗んで、密造酒やもぐりの酒場が横行していますし、カナディアンクラブの会社が禁酒法のおかげで巨万の富を築いたって言われていますから、密輸も相当行われていたんでしょう」
「そりゃそうだ。あの広い大陸の東から西まで、国境にズラリと監視人を置いたり出来るわけがないよ」
「アイリッシュやスコッチのウイスキーも密輸されていたらしいですが、やはり地の利を考えたら、カナディアンが一番でしょう。禁酒法が廃止されても、ウイスキーはすぐに出来るもんじゃないですから、しばらくはカナディアンが席巻していたんじゃないですかね」
「だから、当時作られたカクテルブックだと、マンハッタンのウイスキーはカナディアンクラブになるというわけね」
「推論ですがね。それと、禁酒法時代は酒を飲んでるように見せないために、ジュースで割ったりとか、いろいろカクテルが発展していった時代とも考えられますね。必要は発明の母と言うか、、、」
「飲んべいにとっては悪法でも、それがあったからこそ、ある意味、今のカクテルがあるって訳ね。何か皮肉な感じだね。そういえば『アンタッチャブル』は当時を背景にした映画だよね?」
「あと、あれも有名ですよ」
「えっ?どれ?」
「あのソファー席辺りにオレンジ色の箱があるでしょう」
「あーあれね。で、何なの? 前から気にはなっていたんだけど」
「ビリー・ワイルダー監督の『お熱いのがお好き』の脚本が、映画のスナップショットなんかと一緒に本になったものです。ビリーワイルダーによる脚本の手直しもそのまま載せてあります」
「あれだ、マリリン・モンローともう一人グラマーな女優さん出るやつ」
「それは『紳士は金髪がお好き』ですよ。ハワード・ホークス監督の。これは、マリリン・モンローと、男性陣はトニー・カーティス、ジャック・レモンです。冒頭から禁酒法時代の雰囲気満載ですし、今お飲みのマンハッタンも面白く出てきますよ」
「いいねー。アルカボネみたいなギャングがバンバンやりあったり、マリリン・モンローのセクシーなシーンがバンバカとか? あー熱くなってきたよ。熱かな、酒かな、マリリンかな」
「だから言ったじゃないですか。体調悪いのに、、、」
「いやいや、まだ大丈夫。先を頼みます」
「えーっと、マシンガンの雨あられを掻い潜りながら霊柩車が疾走します。その行き着く先は葬儀屋です。当たり前といえばそれまでですが、なんと、霊柩車には密造酒か密輸酒か、いずれにせよ違法な酒が積まれてて、さらになんと、葬儀屋の地下がもぐりの酒場になってるんですよ。お客はバンドの生演奏で一杯やってるんですが、酒と分からないようにコーヒーカップで飲んでるのが笑えますね。もう憎いほどのビリーワイルダー節全快ですが、そこに現れたのが取締官たちで、一斉摘発となります。細かいところは忘れましたが、バンドメンバーのトニーカーティスとジャックレモンが、そこを仕切っていた、怒り心頭のギャング達に追われるはめになってしまいます」
「マリリンはまだー? マンハッタンのシーンは?」
「少々お待ちを。で、2人はやむなく女性バンドに職を得て、そのために女装して、出演先のホテルがあるフロリダ行きの列車に乗って一安心、、、とはいかないんですが、そのバンドのボーカル役がマリリン・モンローです。ちなみに、トニー・カーティスはサックス、ジャック・レモンはベース担当です。このベースにちょっと細工があって、、、ここから先は観てのお楽しみってとこですね」
(パクッ)「いやー、チェリー美味しいねー」
「聞いてますー?」
「ひぃーいーてぇーまふぅほー、、、」「、、、で、ですね。移動の列車は寝台車になっていて、バンドメンバーの女性達が肌もあらわな下着姿で、もちろんマリリンもですよ、ベッドにすし詰めになって、酒盛りをやるんです。バーボンウイスキーがあって、何故かベルモットもある。よし、マンハッタンを作ろうとなって、シェーカー代わりに出てきたのが、なんとゴム製の氷枕なんです(脚本ては湯タンポだが)。そこに、ドボドボ注いで、シャカシャカ振って、キャハハハと酒盛りは最高潮に達します。マラスキーノチェリーないかと探すシーンがあるのもニクいですね。女装のジャック・レモンも即席マンハッタンに絶好調、、、って聞いてます?」
「マスター、ごめん、ボーッとしてきた」
「いま、お水を、、、今度はちゃんと飲んでくださいよ。どうですか?」
「氷枕でマンハッタンを作って、、、何だっけ?」
「いやいや、マンハッタンも飲み終わられたようですし、もうお帰りになって、氷枕を本来の使い方で、ちゃんと氷水を入れて、頭にのせてお休み下さい」
「あのさー、枕だと頭に敷くって言うんじゃない? 頭にのせるのは氷嚢(のう)とか言うんじゃ?」
「この際、どっちでもいいじゃないでか、、、あれ?、氷嚢、、、頭にのせる、、、といえば、『先生のお気に入り』という映画で、クラーク・ゲーブルが作るマティーニのシーンが可笑しいん、、、」
「マスター、マスター。それこそ、そんな話はどうでもいいよ。次にマティーニ頼んだときにでもしてよ」
「あっ、失礼しました」
「いやー、水飲んで少し落ち着いたよ。じゃ帰るかな。♪♪夕焼けこやけで日がくれて 銀座和光の鐘が鳴る グラスが空いたらみな帰ろう マスターは一緒に帰れない~♪♪」
「あのー、多分、和光の大時計は鳴らないんじゃ、、、」
「風情もなんにもない人だねー、まったく、、、あっあれだ、ほっとけい(時計)とか、そんなオチを期待してたんじゃないの? そうは問屋がおろさないよ、、、って、何言おうとしたんだっけ? まあいいや、帰ろ」
「あのー、オチだけじゃなく、お会計も忘れていますよ」
第三夜 お熱い夜の始まりはマンハッタンで
