「あっ、いらっしゃいませ」
「マスター、小豆島のオリーブもう出てきた?」
「10日に解禁で、今ありますよ」
「じゃ、マティーニお願いね」
「かしこまりました。その前にレコードを新しいやつに、、、お待たせしました。では」
ミキシンググラスに氷を10個ほど八分目あたりまで詰め、水を注ぎ軽く回す。水分を十分に切ったその中にゴードンドライジン43° (注・47.3°再入荷したので、現在はこちらを使用) 、マルティニドライ(白い辛口ベルモット)を5対1ぐらいの割合で注ぎ、混ぜ合わせ(ステアという)、氷で冷やしたカクテルグラスに注ぐ。軽く水洗いしたオリーブをカクテルピンに差し、グラスに沈め、レモンピール(皮)の香りを振りかける。
「いやー、いつ見ても凛々しい姿ですなぁー。マスターじゃないよ、このマティーニがね。ほんと、どこまでも透き通ってて。シェーカーでシャカシャカやったんじゃ、この透明感は出ないね。おい、ボンド君よ、いやいや、マスターじゃないよ。マティーニ、シェイクでだと? 冗談言っちゃいけねーよ。(くぴっ) あーありがてー、ありがてー」
「、、、、、、」
「あのさマスター、いやいや分かるよ、バーテンダーは良い聞き手であって、べらべら喋るもんじゃないってことは。でもね、何か少しぐらいはさー。こっちが一人だけ喋ってたんじゃさー、、、」
「あっ、秋ですねー」
「これだよ、まったく。話が噛み合いやしないね。まあ、いいや 。 いい酒といい音楽があれば、、、おっ? これはいい曲だねー。マスター、これ誰?」
「ビル・エバンスのアルバム『アンダーカレント』のB面2曲目、『スケーティング イン セントラルパーク』です。エバンスのピアノとジム・ホールのギターでのデュオで、作曲はMJQのジョン・ルイスですね。キーンと澄んだギターの音と可憐なピアノがつむぎだすワルツ、、、冬晴れの光輝く中、頬を紅潮させた9歳ぐらいの少女が、屋外リンクを可憐に滑る姿が目に浮かびませんか? その子を外套に身を包んだ両親があたたかく見守、、、」
「マスター、マスター、もういいよ。分かったよ。浮かぶよ、浮かぶよ、女の子が。まったくー。客に相づちのひとつも打てないくせに、自分の好きなこととなると、堰を切ったように喋りまくってさ、、、おやおや、また拗ねちゃったの?」
「せっかくですから、マティーニのようなキーンと澄みきった曲を、と思ったんですがね。作り始めるときにB面スタートさせると、いい頃合いに2曲目のこの曲になるんですよ」
「いやいや大変気に入りましたよ。スケーティング、イン、、、ハイドパーク?」
「それじゃ、ロンドンじゃないですか。みんなパブでビール(エール)しか飲みませんよ。ニューヨークはマンハッタンのセントラルパークですよ」
「そういや、この間、マンハッタン飲んだね」
「あー、体調悪いって仰ってたあの時ですね、、、そうそう、マンハッタンに飾る赤いチェリーありますよね。あれをパセリにすると、『セントラルパーク』ってカクテルになるんですよ」
「えっ、パセリ? 公園の緑をイメージしたのかな? マンハッタンに浸かったパセリ、、、でもなんか生臭そうだね。パセリ用意してんの?」
「ちょっとパセリ恐怖症でして、、、」
「子供じゃないんだからさ。いい大人がパセリ食えないなんてさ」
「そうじゃないんですよ。味が苦いからとかじゃなくて、昔、トンカツ屋さんでパセリ食べようとしたら、ご飯粒ついてたんですよ。多分、使い回しですよね」
「多分ね。全員がパセリ食べるとは思えないしね、、、えっ? マスター、このオリーブ?」
「冗談言っちゃいけねーよ。いや、失礼しました。オリーブの使い回しなんて、冗談じゃないですよ。種つきの美味しいオリーブですから、ほとんどの方が召し上がりますよ。食べ終わった後の種も紙ナフキンにきれい包んで」
「しかし、なんでマティーニにはオリーブなんだろうね?」
「さあーなんででしょうね。もう、これがマティーニのスタイルだと思うしかないんじゃないですかね、、、でも、オリーブは入れずに、レモンピールだけを香りとともに落とし入れるスタイルも見かけますね。スティーブ・マックイーン主演の『華麗なる賭け』(1968)で、一仕事終えたマックイーンが自宅に帰ってきて、何はさておき、マティーニを飲むシーンがあるんですが、おもむろに冷蔵庫から、大きな金魚鉢のようなグラス? いや、ガラスボールと言った方が分かりやすいですかね、それを取り出して、中の液体をカクテルグラスに注ぐんです。事前に大量に作っておいたマティーニなんでしょうね。で、レモンピールをピッと入れて飲む、、、いやー、とにかくかっこいいんですよ」
「いやマスター、オリーブの話なんだけど」
「そうでした。申し訳ありません。なぜオリーブか? これは、さっき言ったように僕にも分かりませんが、オリーブにとにかく笑っちゃうぐらいこだわる男たちの例なら挙げられます。まず、東の横綱はビリー・ワイルダー監督の『麗しのサブリナ』(54)に出てくる、オードリー・ヘップバーンでも、ハンフリー・ボガードでも、ウィリアム・ホールデンでもなく、その2人の男優のお父さん役ですね。自分の会社のオフィスにホームバーがあって、自分でマティーニ作るんですが、ある時、ビンの底に一粒だけ残っているオリーブがどうしても出てこない。指を突っ込んでもとどかなければ、逆さにして叩いてもダメ、とうとうグラスのマティーニを、オリーブのビンにぶちこんで、一気にあおるんです。まさに執念ですね」
「確かに。オリーブの無いマティーニなんざ考えられない、と言わんばかりだね。その映画は僕も観たけど、そんな細かいシーンまでは記憶に無いね、、、で、西の横綱は?」
「ロバート・アルトマン監督の『M☆A☆S☆H マッシュ』(70)に出てくる軍医ですね。この映画は朝鮮戦争が舞台なんですが、マッシュは陸軍移動外科病院だかなんだかの略で、まあ、いわゆる野戦病院ですね。そこでのドタバタぶりを描いたブラックコメディです。先にそこに赴任していた軍医が地元の朝鮮人の少年を小間使いにしていて、一番初めに教え込んだのがマティーニの作り方なんです。そこに、新しい軍医が赴任して来て、先の軍医が少年にマティーニを作らせて、もてなそうとするんですが、オリーブはないよ、とことわるんです。すると、新任の軍医が心配するなと、懐からオリーブの入ったビンを取り出すんですよ。周りは爆弾ドカンドカンの戦場ですよ。そこで大のおとなが、しかも人命を預かる医者が、たかがマティーニにヤイノヤイノと、笑えますね。されどマティーニ、されどオリーブなんですよ」
「昔から洋の東西を問わず、グルメは坊主か医者かと言われてるからね」
「あーあと、オリーブにこだわるというわけではないんですが、オリーブを刺しているカクテルピンを上手く採り入れた映画もあります。さっきのビリー・ワイルダー監督の別の作品、『アパートの鍵貸します』(60)です。主演のジャック・レモンが会社の上司に、不倫相手との逢い引きのために、自分のアパートの鍵を貸すんですが、しかもその相手が自分の恋する女性というどうしようもない展開なんですが、アパートを貸してる間の暇潰しにバーに行って、飲んだマティーニの数だけカクテルピンを時計の針のように並べていくんですよ。逢い引きが長引けばその分、カクテルピンも増えていき、、、いやーもう切ない限りです」
「それは他人事じゃないね。この店も、次の客が来るまで待ってたら、時計一周して、べろんべろんになっちゃうよ」
「それはありがたいのですが、無理はなさらないようにお願いします」
「(皮肉が分かんないのかねーこの人は。) いや、マスター、今日のマティーニはとても飲みやすくて、もう一杯ぐらいいけそうだよ。もう少し、強めでも、、、ドライマティーニって頼んだらいいのかな?」
「そうですねー、“基準“ となる一杯をお飲みになってて、これはジンとベルモットが5対1ぐらいですが、その後の一杯ですから、6対1とか7対1とかで十分ドライに感じると思いますよ。ただ、いきなり一杯目にドライマティーニと頼まれても、作る方からすると、ちょっと考えてしまいますね」
「えっ、そういうもんなの? でも、ドライマティーニって言葉というか、カクテルの名前はあるんだよね?」
「あるといえばありますね。カクテルブックにも、マティーニとドライマティーニがそれぞれ表記してあって、当たり前ですが、ドライの方がジンの割合が高くなっている、といったように」
「じゃ、ドライマティーニと注文されたら、その割合通りに作ればいいんじゃないの?」
「まず問題は、ジンとベルモットの割合を忠実に守っても、条件が異なればドライ感も異なるってことですね。例えば、当店ではゴードンの43°使っています。以前使っていた47.3°が無くなったからですが、同じ割合でも度数の高いジン使った方がドライになるのは当たり前ですよね。また、ジンは冷凍庫に入れていますが、冷蔵や常温のジンを使えば冷凍より氷が溶けやすいですから、よりウェットになりますよね。そのミキシンググラスに入れる氷も大きければ溶けにくく、小さければ溶けやすい。バースプーンでステアする回数も多ければ多いほど氷は溶ける。また、この間マンハッタンを飲まれた時のように体調が良くない場合は、全く同じものでも強く感じる、、、ちょっと例を挙げただけでも、こんなにドライ感を左右する条件があるんですよ」
「ちょっとどころか、頭がこんがらがってきたよ」
「ですから、レシピにジンとベルモットの割合が書いてあっても、ある程度の目安にはなると思いますが、さっきのように条件が異なれば、同じレシピでも異なる味わいになりますね。その上で最も大きな問題は、その人のドライ感は、その人にしか分からない固有のものであることですね。だから初めてのお客様に、いきなりドライマティーニと注文されても、どのあんばいで作ったらいいのか分からないんですよ。具体的なレシピを仮に言われても、すでに言ったとおり、条件が異なれば味わいも異なるわけですから。さっきみたいに、一杯お飲みになった後で、もう少しドライでと言われたら、分かりやすいんですがね」
「確かに、10人の客いたら10通りのドライ感があって、10人のバーテンダーいたら10通りのドライ感があるわけだから、一発ですべてが合致するほうが難しいよね。でも、いきなりドライマティーニって注文されたらどうすんの?」
「とりあえず、僕の中での普通のマティーニの感覚で作ります」
「じゃ、ただ、マティーニって注文されたら?」
「それこそ、普通のマティーニですよ」
「じゃ、全部一緒じゃないの」
「まあ、そういうことですね。そこからドライなり何なりご指定いただければありがたいですね。そういう点で、ご常連の方は“基準“が分かっていますから、臨機応変に対応できます」
「いやー、マティーニってのは簡単なようでいて、なかなかどうして」
「いやいや。作る側が言うのもなんですが、もっと気楽に考えていいんじゃないですかね。カクテルの王様なんて言われていますが、何事も行き過ぎると、まさに『裸の王様』、ただのパロディになってしまいますからね。さっきのオリーブにこだわりすぎる人たちみたいに。そうそう、ドライの話にしたっていろいろありますよ」
「またまた映画で一席ぶちそうな感じだね? 目ギラギラさせてさ。何か怖いよ」
「そう仰らずに。まあ、とりあえず聞いてください。あのクラーク・ゲーブルと歌手でもあるドリス・デイ主演の『先生のお気に入り』(58)ですね」
「あっあれだね、ドリス・デイが甘い声で♪♪ティーチャーズペット、フフフーン、ティーチャーズペット、フフフーン♪♪って歌うやつ」
「、、、、、、」
「だから、何かさー」
「あっ、すみません、、、で、ですね、ある男とクラーク・ゲーブルがドリス・デイを巡って、飲み比べをするんです。ウェイターに“握らせて“、酔い潰したその男のアパートを、翌日、クラーク・ゲーブルが訪ねて、氷嚢(のう)を頭に乗せて苦しんでる男の側で、口笛を吹きながら、何食わぬ顔でマティーニを作り始めるんですよ。ミキシンググラスにジンを入れたはいいが、氷がない。で、ここからが傑作なんですが、男の頭に手を伸ばし氷嚢から氷を何個か拝借して、カラカラ回して冷やした液体をカクテルグラスに注ぐんです。そして、何事か、いきなりコルクで栓がされた瓶を上下に激しく振るんです。で、コルクを抜いて、それをグラスの縁にチョンチョンと付けるんですよ。多分、瓶の中身はベルモットなんでしょうね。ですから、このマティーニは中身は全部ジンで、飲むときにグラスの縁に付いたごくわずかのベルモットを感じるだけという、超超ドライマティーニといえますね。僕は勝手にゲーブルマティーニと名付けていますが」
「じゃ、お代わりはゲーブルマティーニにしよう」
「それはお断りします」
「えっ、それだけふっといて、それはないんじゃないの」
「だって、ブランデーが添加され若干アルコール度数をあげているとはいえ、ベルモットはあくまでワインの一種なんですよ。それを、たかだかチョンチョンのために急激に振って、丸々一本酸化させてダメにするなんて酒への冒涜ですよ。僕にはとても出来ません」
「でた、いつもの“病気“が始まっちゃったよ、、、あのね、マスターさ、今までの話しは何だったの? もっと気楽に考えてとかさ、あれやこれやとかさ」
「あっ、少し熱くなってしまいました。じゃあ、そうですねー、ゲーブルマティーニ“もどき“にしましょう。カクテルグラスにベルモットを少量垂らして、グラスを斜めにして回し、ベルモットでその内側をまんべんなく濡らしたら、残ったベルモットを切って、冷凍のジンを注いで出来上がりです」
「いやーこれはかなりキツいね」
「ほぼジンですからね。しかも、ミキシンググラスで氷とともに回さないから、冷凍のトロトロ感そのままですし、、、でも、ご家庭でも簡単に作れますよ」
「えっ、マティーニって家で作ってもいいもんなの?」
「それがさっき、もっと気楽に、と言ったことなんですよ。バーに行ったら背伸びしてマティーニ、しかもドライで頼まなきゃいけないんじゃないかとか、やっぱりプロに頼まなきゃとか、三口で飲まなきゃいけないんじゃとか、そんなことは全然ないんですから。まあ、マティーニですから、アルコールの甘味を旨みと感じられる方に限られる飲み物ではありますが、もっとご家庭でも楽しんでいただけたらと思いますね。そして、自分に合う一杯を作ったらいいんじゃないですかね。例えば、ヒッチコック監督の『ダイヤルMを廻せ』(54)やマンキウィッツ監督の『三人の妻への手紙』(49)では、パーティーへ出掛ける前に自宅でマティーニを楽しむシーンが出てきますよ。ヒッチコックのやつは、グレース・ケリーが旦那に、かき混ぜすぎないでね、と自分の好みを伝えるシーンもあるんですよ。まあ、アメリカの中流以上の家庭での話ではありますがね」
「でも、うちはミキシンググラスもカクテルグラスもないけど」
「ウイスキーは飲まれます? あー、ロックで。じゃ、そのグラスに氷入れて、ジンとベルモットを注いでかき混ぜれば出来上がりですよ。冷凍のジンだったらそれなりのキリッとしたものが出来ますよ。それも面倒ならジンをそのまんま飲むとか」
「それじゃ、マティーニじゃないじゃないの」
「いやいや。また、パロディーだと思うんですが、大のマティーニ党といわれたチャーチルは、別室に置いたベルモットの瓶を眺めながらジンのストレートを飲んでいたとか、執事に耳元で、ベルモット、ベルモット、と囁(ささや)かせてジンのストレートを飲んでいたとか、まことしやかに言われてまして。これこそ究極のドライマティーニですね。耳元のやつは、囁くからウィスパーマティーニなんて名前があるくらいです」
「ほんとかねー」
「ハンフリー・ボカードはドランブイというリキュールが好きだったんですが、途中、マティーニ党になって、結果、食道がんで死んだ。で、今際の言葉が、マティーニを飲むんじゃなかった、ってのもあります」
「いやいや、マティーニ伝説恐るべし、ですな」
「ほんと、たかだか原価100円ちょっとのものなんですがね」
「えっ、そんなに安いの? じゃ、マティーニじゃんじゃか出る店は大儲けじゃないの、、、まっ、この店はそうでもないか」
「うちはぼちぼちやってます」
「マスターさ、だからお宅はダメなんだよ。もっと欲出さなきゃ、、、そうそう、BARウィスパーって店にしようよ。女の子何人か置いてさ、お客の耳元にベルモット、ベルモットって囁かせるんだよ」
「英語圏の観光客だったら、ヴァームースって発音しないと」
「えっ何々? バームース?」
「違いますよ。下唇軽くかんで、ヴァ、ヴァ。で、最後のスは舌先を歯で噛んで」
「ヴァ、ヴァ、ヴァームー、、、マスターさ、仮にこの場面、大のオヤジ二人がさ、顔くっつけて、ヴァ、ヴァって、第三者が見たらこの人たち気でも違ったのかと思うよね。まあ、我慢我慢、儲けのためね」
「そんなにうまくいきますかね」
「だって、原価そんなに安いんでしょ。家賃がちょっと高いったってね」
「ちょっといいですか」
「何だね? 苦しゅうない、苦しゅうない、何なりとこの耳にささやいてごらん」
「女の子の人件費、、、って、何で耳ふさぐんですか!」