「いらっしゃいませ」
「あー、マスター、久しぶりだねー。とりあえず水を一杯ちょうだい」
「なんか、お疲れじゃないですか?」
「いやねー、なんかここんとこねー、ずっーとこんな感じなのよ。男性ホルモン足んないのかな」
「寄る年波には勝てない、って言いますからね」
「なんでそういうことをズバッと言うかねー。バーテンダーは心の医者って言うけど、おたくほどの“ヤブ医者“はいないね」
「これは恐れ入ります」
「恐れ入るんじゃないよ。そういうときは恥じ入るんだよ」
「お説ごもっともでござい」
「こりゃ何言ってもダメだね。まあ、マスターらしいっちゃ、マスターらしいけどね、、、おっ、ザクロ飾ってあるじゃないの」
「いや、これは飾りじゃなくてカクテルで使うんですよ」
「へー、生のザクロをねー。そういや、ザクロって、女性の身体に良いって聞いたことあるけど」
「種に女性ホルモンの成分が含まれているらしいですね」
「男性ホルモンじゃないんだねー。まあ、僕が女だったら、すぐさま注文してるけどね」
「店でも話題になりますね。実際、女性のお客様が、身体に良いからって、よく注文されますよ。でも、フルーツ辞典を見たら、過信は禁物って書いてあるんで、効果のほどは定かじゃない気がしますがね」
「あー、マスターのことだからさ、せっかくその話題で盛り上がってる女性のお客さんに『過信は禁物です』とかなんとか、見も蓋もないこと言ってんじゃないの」
「、、、いえ、まあ、一応こういうことはあやふやじゃなく、ハッキリとさ、、、」
「マスター、マスターね。だからおたくはダメなんだよ。サマセット・モームの小説じゃないけど『女ごころ』が分かってないねー。そんなときはさ、これ以上美しくなられてどうなさるんですか、とかなんとか言ってさ、『お世辞代500円』ってな具合に伝票につけちゃえばいいんだよ。何でも商売だよ、商売、、、って、また、拗ねちゃったの?」
「いえいえ、ちょっと思い出したことが、、、サマセット・モームといえば『人間の絆』の」
「あー、あれはなかなか面白いね。僕はね、最後の方のホップ農場の場面が好きなんだよね。主人公と、その花嫁になる女性とが結ばれるあたりね」
「今、僕もそのホップ農場を思い出したんですよ」
「ホップはビールの原料だから、仕事柄、目がいくってわけね」
「いえ、そうではなくて、ホップ農場で働く女性は、ホップの影響なんでしょうね、女性ホルモンがかなり分泌されて、もうとにかくすごいらしいんですよ。干からびたお婆さんでさえ、再び“女性“として甦るほど、、、」
「マスターね、そんなね、スルメが活き造りになるようなね、イカじゃないんだから、、、だからさ、女性ホルモンの話しはもういいって。まったく、やんなっちゃうね、、、マスターさ、この仕事の前は普通にサラリーマンやってたって言ったよね。そんな感じで、よく勤まったね。ちゃんと給料もらってたんでしょ」
「そうですねー、今よりはマシな生活していましたね」
「そりゃそうだろうね。こんな暇な店じゃ家賃払うので精一杯ってとこだろうね。さっきのモームの『月と六ペンス』じゃないけど、月なんか追いかけないで、六ペンスの堅実な暮らしのままでいりゃよかったのにね」
「お説ごもっともでごさい」
「、、、こりゃ何言ってもムダだね」
「えーっと今、ふと思い出したんですがね、こんなカクテルはどうでしょうか? オールドファッションドグラス(いわゆるロックグラス)に大きめの氷を1個入れまして、オールドパー12年とドランブイを2対1ぐらいの割合で注いで、軽く混ぜ合わせて出来上がりです。ラスティネイルというカクテルですね。ちょっと甘いですよ」
ラスティネイルの一般的レシピは、スコッチウイスキー(スコッチであればなんでもよい)とドランブイを、2対1から3対1ぐらいの割合で混ぜ、オンザロックで提供するというもの。
「見た目からして、このトロリとした感じがもう甘そうだね。(くぴっ) 確かに結構甘いね、、、(くぴっ) でも、なんか甘いだけじゃなくて、ちょっとハーブのスパイシーな感じもするね。いやー、なんか身体に良さそうな、、、(くぴっ) 結構強いよね」
「ドランブイが40°で、オールドパーも40°ありますから、氷が少し溶けたとはいえ、40°弱の強さはありますね」
「2倍のウイスキーで割っても、このしっかりした甘さなら、ドランブイだっけ? これだけだと相当甘いよね」
「ドランブイは薬草系のリキュールですが、リキュールはスピリッツ(蒸留酒)に、薬草系ならその薬草の成分と、必ず糖分が入っています。だから甘いんですが、なかでもドランブイは結構甘い方ですね。でも、アルコールや砂糖の浸透、防腐といった作用を考えると、それらが高いってことは、それだけ高性能だともいえますね」
「ドランブイって英語じゃないよね」
「スコットランド産でゲール語ですね。数種のブレンドされたモルトウイスキーにハーブ類とその土地のヒースなどから採れた蜂蜜なんかが入っています。食後酒として有名なんでしょうね、ジーン・ハックマン主演のアメリカ映画『フレンチ・コネクション』(1971)のレストランでのシーンで、食後のワゴンサービスではデザートとともに、ドランブイがオレンジリキュールのグランマニエと一緒にありましたね。フランス映画でも、ジャン・ルノアール監督の『恋多き女』(56)で、結婚披露宴の食後に給仕がサービスして回るリキュールに、自国のコアントローや、ベネディクティンDOMと一緒にドランブイがあるんですよ」
「で、僕にも腹ごなしに勧めてくれたってわけ? やっぱおたくは“ヤブ医者“だね。なにも腹ごなしが欲しかったわけじゃないよ。そのテキトーないい加減さは、バーテンダーというよりフーテンダーといった方がぴったりだね」
「飲み過ぎるソムリエはノムリエ、喧嘩っ早い板前はイテマエってとこですか? 病は胃から、って言うでしょう」
「気から、ね」
「冗談ですよ。ただ、あながち、間違いでもないんですがね。飯食えなくなったら、どうしようもないわけですから、、、まあまあ、何もドランブイをそのまま勧めたわけではなく、あくまでもカクテルとしてのラスティネイルをお勧めしてるんてすよ」
「ラスティネイルは英語だよね?」
「そうです。ラスティが錆びた、で、ネイルが釘で、錆びた釘、って意味ですね。カクテルの色合いが錆びた釘みたいだかららしいんですが、古いもの、って意味合いもあるようですね。古典的なカクテルだからですかね? そこんとこはよく分かりませんがね、、、とまあ、ここら辺までがカクテルブックなんかに載ってることなんですが、僕はふと、そこから先を考えてみたんです。はなはだ恐縮なんですが、、、」
「えっ? 何なの? そんなにかしこまっちゃって、、、」
「あのですね、ちょっと下の方を見ていただけませんか? いやいや、お席からお立ちにならなくて結構です。かえってお立ちにならないほうが分かりやすい、、、」
「えー、何なの? 下の方ったって、僕のはいてるズボンしか、、、」
「そのズボンの下に見えませんか? こう透けて、ぼんやりと、、錆びた釘が」
「錆びた、、、あっ! 釘! って、失礼な! 何言ってんの! まだまだ錆びちゃいないよ」
「これは失礼いたしました。いやーなんかお疲れで、男性ホルモン足んないって仰ったものですから、、、いやいや、もうそんなにお怒りにならないで。今もお元気で、ますます元気になられる分にはいいじゃないですか、、、ということで、ラスティネイルというカクテル名には、男性の錆びた釘を元気にする、という意味が、というよりは願望が込められていると、僕は解釈したわけです」
「なんかすごい解釈だね。泌尿器科の学会で発表できんじゃないの。『過信は禁物である』付きでね」
「まあまあ、そう混ぜっ返さないで、もう少しお聞きを。元来、薬草系のリキュールは古くから造られていまして、長寿、媚薬などの効果をうたっているんですね。ドランブイは1600年代にスコットランド王家の秘伝レシビがマッキノンさんという人に授けられ、1800年代に製品化されたと言われています。さっき取り上げたフランスのベネディクティンDOMは1500年代にレシビが作られたらしいです。さらに古くは、あの有名な『トリスタンとイゾルテ』、僕はフランス人の作で読みましたから『イズー』となりますが、スコットランドもそうてすが、ケルト民族の伝記ですよね。この二人も、媚薬、いわゆる惚れ薬の酒(リキュールではなくワインの類いかな)を飲んだために激しい愛が生まれ、その後の悲劇へと繋がっていく、、、」
「マスター、マスター、分かったよ、分かった。なんだろうねーこの人は。たかが、僕の体調不良の話から、なんで、愛の悲劇にまで話が行くのかねー」
「えーっと、ちょっと脱線しましたね。それで、そうそう、ドランブイはハーブ類に加えて、蜂蜜も入っていますからね。ミードなんかの蜂蜜酒は古来、子作りのための強壮剤として、新婚夫婦の枕元に置かれたぐらいです。ハネムーン、蜜月とはよく言ったものですね。ちなみに、先ほどのベネディクティンを使ったカクテルにハネムーンというのがありますね。実はベネディクティンのカクテルにはもっとスゴいのもありまして、卵と生クリームを使ったものはウィドウズドリーム、未亡人の夢って名前なんですよ。未亡人の夢ですよ。もう凄まじいに違いないんですよ」
「、、、また、脱線しちゃったよ」
「あっ、申し訳ありません。それで、ドランブイのハーブやら蜂蜜やらが、錆びた釘をみがきにみがいて、輝かしてくれるのではないか、大いに期待されるところですが、さらに相方の合わせるウイスキーにもこだわりたい。そこでですよ、このオールドパーの登場というわけです。オールドパー、、、」
「その前に、レコード終わっちゃってるよ」
「あー、すぐ新しいやつに(ガシャガシャ、プチッ)」
「ウィントン・ケリーのピアノトリオかー、いいねー」
「先ほど、僕のサラリーマン時代に触れられましたが、当時、大学の栄養学の先生に『長寿の秘訣』だったかのタイトルで原稿書いてもらったことがあったんですが、その冒頭、オールドパーのラベルの肖像画、これがオールドバーで、つまりパーじいさんですが、100歳を超えて強姦か重婚かどっちかで逮捕された、と書いてあったんですよ。ビックリですよね。152歳まで生きて、100歳を超えて“現役“だったなんて。実際、ボトルには、肖像画の上に1483、1635の数字があって、引くと152、つまり生まれた年と亡くなった年とが記されているんです。いやー、錆びるどころじゃない釘、これを使わない手はないじゃないですか。オールドバーの製造元もパーじいさんにあやかろうとラベルに使ったわけですから、ラスティネイルに込められた願望も、ドランブイに合わせるウイスキーをオールドパーにすることによって、より実現に近づくわけです」
「いや、マスターね、ドランブイの方は分かるよ。実際、蜂蜜なんかが入っているわけだからね。でも、オールドバーの方はさ、ただ、実際にパーじいさんが絶倫だったというだけで、それにあやかったウイスキーを飲んだからって、元気になる根拠は何もないじゃないの。パーじいさんのエキスかなんか入っているってんならまだしも、、、」
「信じるものは救われる、、、」
「マスター、おかわりね」
「えっ?」
「えっ? って何?」
「いや、てっきりお怒りになるかと、、、」
「もうね、怒りを通り越して呆れてんの。二度と頼むことはないだろうから、今生のお別れにもう一杯だけってやつね」
「本当は、藁をもつかむ、、、」
「今度は怒りますよ、、、でも、もう少し弱くなんないかな」
「それでしたらお湯で割ってホットカクテルに仕立てましょう。これからの季節にはいいですよ。ホットの場合はレモンを極薄くスライスして、さらに4分の1ぐらいの銀杏形にして浮かべます」
「いやーこれはいいねー。ハーブとレモンの香りがマッチして、甘味もほどよく、、、ところで、マスターさ、さっきのオールドパーの話、下らなすぎてさ、まさか他にはしてないよね?」
「、、、、、、」
「えっ、しちゃったの?」
「正確に言いますと、話をしようとして、未遂に終わりました」
「ほんとかね。マスターの興がのった時の饒舌を止められるヤツがいるの?」
「思わぬ伏兵が現れまして。しかも、ヤツ、ではないんです」
「その顛末はラスティネイル論なんかより、はるかに興味を引くね」
「えーっと、年配のお客様がいらっしゃるんですが、、、正確に言いますと、いらっしゃったんですが」
「亡くなられたの?」
「去年の春に。85歳だったらしいです。ドアネイルですね」
「錆びた釘の次はドアの釘、、、一体何なのそれは?」
「ディケンズの『クリスマスキャロル』の冒頭、人が疑いの余地なく死んでいることを、ドアの釘に例えてあるんですよ」
「それは、これからの話に重要なことなの?」
「いえ、ただ言ってみたかっただけで、、、いえいえ、申し訳ありません。もう少しご辛抱を、、、で、このFさんは“クラブ活動“が大好きで、よくアフターでクラブのホステスさんとご来店いただきまして。で、お分かりいただけると思いますが、このぐらいの年齢になると、大体話のネタが5つぐらいで、同じ話をつい昨日の事のように話されて、僕も女の子たちも初めて聞いたかのように振る舞わなきゃならないんですよ」
「マスターね、仮にこの発言が文章化されて、読まれるとしたら、全世界のじいさんたちを敵にまわしてるところだよ。話のネタが5つぐらいってさ」
「まあ、ここだけの話ですよ、、、で、そのネタの一つに、疎開先での話があるんです。戦後、Fさん、当時はF君ですね、の通っていた中学校はアメリカ軍に接収されたんですが、体育館は兵士がバスケットボールやったりして、子供たちは使えなかったらしいです。ある日、そんな子供たちを不憫に思ったのか、軍が子供たちを集めて映画の上映をやりまして。Fさんの記憶によると、ハンフリー・ボガード、ローレン・バコール主演、ハワード・ホークス監督の『脱出』(1944)だったらしいです。米軍のですから、もちろん字幕はありません。F君は訳が分からないまま観てたんですが、後の夫婦でもある、主演二人のキスシーンに釘付けになったそうです。純粋なF君にとって、あれは何だ?、と」
「そうか、当時の子供なら無理もないね」
「で、上映後、友達どおして、『あのチュッチュッやってたの、あれはなんだろう』と盛り上がっているところへ、いつの時代もませた子っているんですね、その子が『あれはなー、キッスって言うんだせ』となって、またまた、何だ何だとなって、しまいには辞書を持ち出してきて、キッスを調べると、接吻とあって、よく分かったような分からないような、、、で、F君は学校からの帰り道、近所の仲の良い高校生のお姉さんに会って、ここぞとばかり質問したらしいですね、『お姉さん、キッスって何?』」
「で、お姉さんは何と答えたの?」
「『あなたはそんなこと考えなくていいの。お勉強を頑張ればいいの』と言って、F君の頭を人差し指で、チョンとつついたそうです」
「いやー、なんかほのぼのとしたいい話だねー」
「僕も初めはそう思ったんですが、5、6回目あたりからはねー。で、Fさんの毎度のシメの一言が『ありゃー、知ってたな』ですからね」
「それで、ラスティネイルはどうなったの」
「そうそう、それでですね、前回マティーニ飲まれた時、お話ししたと思いますが、ハンフリー・ボガードの愛飲していたのがドランブイだったらしいんですよ。で、オールドパーで作ったラスティネイル思い付きまして、Fさん、艶話お好きですから、機会あったら勧めようと思っていたんですよ」
「未遂に終わった、ってのがよく分かんないね」
「その日もFさん、アフターで女の子、ギリギリ女の子、いや、やっぱりお姉さん」
「若くはないホステスと来たってことね」
「ありがとうございます。で、うちに入ってらっしゃるなり、『おーい、今からこの子を口説くから、なんか勢いのつくカクテル作ってくれ』と。僕は、よしきたーって感じで、カウンターにドランブイとオールドパーを並べた途端ですよ、そのお姉さんがオールドパーのボトル掴んで、『あーこれ知ってる。絶倫の酒でしょう。だから、瓶の模様がタマに似てるんだよねー』」
「、、、まさか、他にお客いなかったろうね?、、、えー!なんでいんのー」
「葉巻を燻らせながら、いつも静かにお飲みになる方で。しかし、立派な方ってのはいらっしゃるんですね。あ然としたままの僕を気遣ってか、お姉さんが置いたオールドパーのボトルを斜めに立てて、斜めに立つのはご存じですよね? で、『斜めにしても立つ』って仰ったんですよ」
「えっ、どういうこと?」
「多分、自分なりの精一杯エッチなことを仰ったんだと思います」
「うーん、なんかよく分かんないけど、、、それにしても、そんなことが平然と言えるそのホステスはスゴいね。というか、枯れてるね、、、いやだねー、マスター、レコード鳴ってんの『枯葉』だよ」
「ちょうど、A面の四曲目ですね」
「なんかさ、このホットのラスティネイルに浮かんだレモンがさ、枯葉に見えてきたよ、、、ラスティネイルと枯葉、、、Fじいさんとホステス、、、でも、ボトルの模様はさ、当たり前だけど、そうじゃないんだよね」
「僕もすぐ、誰がそんな話したのか聞いたんですよ。で、お姉さんが『うちのお客さん』って言うんです」
「完全に担がれてるね。しかし、言う方も言う方だけど、それを真に受けるのもどうかねー、、、で、その客の前で、そんなネタ聞かされてさー、少しぐらいは恥じらったのかな?」
「それがですね、『えーっ、私もこんな歳だしね。そんなこと知りませーん、ってガラでもないしさ』っときたもんですよ」
「ホップ農場でザクロのカクテル飲ませなさい」