「これはこれは、ご隠居、いらっしゃいまし」
「やー熊さんや、あんたもなかなか酒場の主人が板についてきたね。大工としてもなかなかの腕だったが、、、まあ、屋根から足滑らせて落っこって、あんな怪我しちゃっちゃねー」
「いや、ありゃバチがたったんでさ。酒をちょいとひっかけて、仕事やろーなんざ、今考えーても、お恥ずかしい限りで」
「まあ、そんくらいの怪我で良かったじゃないの。命あっての物種だよ。ほんとにねー、屋根から落っこったてのにねー」
「いやー、ありがたいこって、、、それがでさーね、雨漏りがするってんで、様子見に出掛けたら、こーんな低い屋根だったんでさ。で、こんくらいの怪我で済んだんで。ほんと、こーんな低いね」
「ほんとかねー、そーんな低い屋根があんのかね。それ建てたヤツあ、よっぽどのケチだね。しかも雨漏りするってんじゃあねー」
「それ、ご隠居が家主の長屋でさー」
「なんでそれを早く言わない?」
「いや、言うもなにも、、、」
「ここに来る他の客に、ベラベラ喋ってはすまいね? いや、あんたのこったから、、、」
「見損なっちゃいけませんや。別に法の罰則規定があるわけじゃござんせんが、酒場の主人たるもの、テメーなりの守秘義務ってものがありまさー」
「えらい! これなら安心して飲みに連れてこられるよ、いろんな人を」
「色女の人?」
「いろんな、だよ。今いち信用できないねー、、、ときに、酒の方はどうなんだい? 仕事柄、こんだけありゃー、つい手をつけてしまうだろうに」
「いやいや、無い物ねだりっていうんでやすかねー、逆に、こんだけ酒に囲まれっちまうと、飲む気も起こりゃしません。ましてや、飲むんじゃなくて、あくまで売るのが仕事でして」
「えらい! さっきの守秘義務といい、酒に飲まれない姿勢といい、いやー見直したよ」
「別にえらかーありませんや。当たり前のこってさー」
「いやいや、なかなか言えませんよ、そういうことは。わたしもこの店(たな)を貸したかいがあるってもんだよ」
「本当に、ご隠居が大家さんとは、ありがたいこっで。ここんとこねー、こんな景気でしょう、、、」
「ダメですよ。店賃はきっちり払ってくんないとね。あんたが商いなら、こっちだって商いですよ」
「(ちぇっ、しっかりしてやがら。だてに歳とっちゃいねーや、、、)」
「えっ? 何だい? ブツブツと、、、ときに棟梁、あっ、そうだったね、今は酒場の主人、、、えー、何と呼べば良いのかな? 舶来風だと?」
「そうでさねー、一応、マスターって言葉がありやすがね」
「そうか、マスターか。熊のマスターねー、熊のマスター、、、いっそのこと、クマスターってなどうだい」
「いや、そんなに無理に縮めなくっても」
「何が無理なんだい? 何か不満なのかい? 店賃上げて欲しいのかい?」
「(ちぇっ、しょうがねー客だな)いやいや、そんな、何も不満なんざ、、、」
「じゃ、早速だがね、クマスター、何か一杯いただこうかね。なんでも、年に一遍しか入ってこない酒が、最近入ったと聞いたがな」
「あー、あれでやすか。えーっと、これこれ。このカルバドスのリキュールで」
「その前に唄がないねー。何か景気のいいところを一つやっておくれ」
「景気のいいところでやすか? いつもジャズなんでやすがね」
「お経でも流そってのかい?」
「それは数珠(じゅず)、、、ジャズで、唄もんってなると、エラ・フィッツジェラルドとか、サラ・ボーンとかなら」
「越路吹雪はないのかい?」
「えっ? いや、ござんせんが」
「カルバドスったらノルマンディ地方のカルバドス県内で造られる林檎の蒸留酒だろ? 基本的に洋梨も入っちゃいるがね。地域によっちゃ洋梨の割合の方が高いのもあるね。ちなみに、林檎の醸造酒はシードル、英語だとサイダーとくる。で、そのノルマンディ地方はどこにあるんだい? って聞かれりゃ、そりゃ仏蘭西だ。で、仏蘭西ったら何だい? とくれば、そりゃ、シャンソンじゃないかい? で、日本でシャンソンったら? そりゃ、越路吹雪に決まってるじゃないか」
「(長げーよ)、、、いや、そりゃそうかもしれやせんが、無いもんは、、、」
「買っといで。いやいや、心配せんでもいい。店番はしとくから」
「(ちぇっ、しょうがねー客が来ちまったもんだな)」
「えっ、何か言ったかい? いやなら店賃、、、」
「いえいえ、すぐ」
「おー、ご苦労だったね。お代はわたしの勘定につけといておくれ。さーさー、早速かけておくれ」
「へーへー今すぐ(ガシャガシャ、プチッ)」
「おー、『ラストダンスは私に』だよ。この唄にゃ、とっても思い入れがあってねー。うちのばあさんと知り合った時なんだがね、、、」
「ご隠居、ご隠居。先に飲みもんを伺わないと」
「えっ、そうかい? なんかはぐらかされてるような気がしないでもないがね、、、じゃ、そのカルバドスのリキュールとやらをいただこうかね。生(き)でいけるのかい?」
「冷やしているとはいえ、生だとかなり甘いかもしれやせんね。カルバドスと林檎の果汁に加えて、さらに糖分を足していやすからね。似たようなのに、ポモードノルマンディってのがあるんでやすが、こいつは甘さが控えめなんで、生のまんまでも十分いけやすがね。じゃ、リキュールの方はどうすんだい? ってことなんでやすが、アルコール分やエキス分が高いだけ、“伸び“がいいわけでやして、炭酸で割ったり、カクテルにするにはもってこい、ってな訳でやして」
「じゃ、コクテールをいただこうかね。何が出来るんだい?」
「ちょっとばかし、強くてもかまいやせんか?」
「わたしも男として生まれてきて、当節六十うん歳になろうってんだよ。ちょっとやそっとじゃ驚かないよ、、、最近じゃすっかりまるくなって、猫のご隠居、なんて言われてるがね、、、若いときにゃーね、そりゃ虎とも獅子とも、矢でも鉄砲でも持ってきやが、、、」
「はいはいはい。では、さっそく、、、」
ミキシンググラスに氷を八分目辺りまで詰め、水を注ぎ軽く回す。十分水分を切ったその中に、ビターズを2滴ほど垂らし、カルバドスとカルバドスリキュールを2対1ぐらいの割合で注ぎ、混ぜ合わせ、丸形のカクテルグラスに注いで出来上がり。
「これは綺麗な黄金色だね。庭一面に敷き詰められた枯葉のような、、、おや、何でだろうね? ほんとの林檎以上に林檎の香りが、こう、プーンと、、、(くぴっ)おっ、こりゃいけるね。力強くも適度な甘さがこう全体をまるーく包むような感じで、林檎の味わいを口一杯に広げてくれるね。この適度な苦味も実にいい塩梅だよ」
「日本みたいに生食主体の林檎でやすと、甘味、酸味のみが重視されやすが、カルバドスでは苦味も、酒造りの上では重要な味の要素に加えられていやす。そこら辺を、ほんの少しビターズを垂らすことで表現しておりやす」
「いやー感心だね。うちのばあさんにも飲ませてやりたいね。そうそう、さっき言おうとした、ばあさんと知り合った頃の話なんだがね、、、」
「ご隠居、ご隠居。お代わりは?」
「まだ、飲み始めたばかりだよ。よほど、わたしとばあさんとのロマンスを聞きたくないとみえるな。酔いがさめてしまったよ」
「いや、まだ飲み始められたばかりでやすが」
「、、、ところで、クマスター、このコクテールの名前は何てんだい?」
「えーと、ちょっと恥ずかしいんでやすが、、、あっしのオリジナルなもんで」
「何も恥ずかしがることはあるまい。うん?」
「えー、マダム・ボヴァリーでやす」
「あー、あのフローベールの『ボヴァリー夫人』だね。そうか、あれも舞台はノルマンディだったね。ただの農家の娘だったエマが医者と結婚し、夢想が飽くなき欲求となって、不貞を重ねた挙げ句、悲劇を迎えるという、、、そうか、当地の酒を使って彼女の味わった人生の甘さ、苦さ、全てが表現されている、というわけだね」
「ええ、お恥ずかしい限りで」
「いやいや、大したもんですよ。名作だからね、コクテールに使っても通りがいいはずだよ。活動写真にもなってるんじゃなかったかい?」
「つい最近も、ミア・ワシコウスカ主演で、そのまんま『ボヴァリー夫人』の題でありやしたね」
「観たのかい?」
「いや、それが一週間だけの上映で」
「そんなことがあるのかい? いや、それよりも問題は、不思議少女、不思議ちゃんをやらせたら右に出るものはないという、それだけにボヴァリー夫人を演じたというからビックリな、その若手女優、ミア・ワシコウスカだよ」
「何か問題でも?」
「いい男だねー」
「えっ? あっしのこってすかい? どうしたんでやすか、急に?」
「今、あなた何と言った?」
「えっ? 何と、、、確か、あっしのこってすかい、と」
「それだよ、それ」
「おっしゃってることが、いまいち分からないんでやすが」
「だから、『ワシコウスカ』がね、『あっしのこってすか』に聞こえて仕方がないんんだよ。安芸の人だったら『わしのこってすか』となるだろうから、こりゃもう完璧じゃないか」
「だからどうなるんで?」
「分からない人だねー、あなたも、クマスター。だからコクテールの名前を変えなさい」
「えっ? 冗談いっちゃいけませんや」
「冗談なんかじゃありませんよ。これからコクテール頼む度に、ボヴァリー夫人と言っちゃあ、ミア・ワシコウスカ、ワシコウスカ、あっしのこってすか、、この連想に悩まされるなんざ、わたしゃごめんだよ」
「(やれやれ、、、こりゃどうしようもねーな)」
「何をぶつぶつ、言ってんだい? いやなら、、、」
「店賃上げるってんでしょう? 分かりやしたよ。で、何になさるんで?」
「何かないのかい? フローベールじゃなくて」
「そうでさねー、フローベールの弟子にモーパッサンってのがいやすがね」
「あー、そうだった。モーパッサンの代表作といえは『女の一生』、これもノルマンディが舞台だったね。いいねー。他には何かないかい?」
「そうでさねー、林檎は仏蘭西語でポム、英語だとアップルとか」
「うーん、ポムとアップルね。他には?」
「日本で林檎といやー、なんか、みちのくって感じでやすかね」
「そうそう、長野も忘れちゃいけないね。そういや、コクテールで使ったビターズはどこのやつなんだい?」
「正式にはアンゴスチュラビターズって言いやして、ベネズエラのアンゴスチュラって町で造られたようなんでやすが、今はトリニダードトバゴ産ってなっておりやす」
「そうかい、そうかい、、、じゃ、今までの全部、名前に使っちまおうじゃないか」
「はっ?」
「いいかい、じゃ、はじめからやってみるよ」
「はじめって?」
「わたしが、ここに入ってくるところからだよ。じゃ、いいかね、、、やあ、クマスター、お久しぶりだね。相変わらず景気も良さそうで、何よりだねー」
「いや、あんまし景気は良くな、、、」
「じゃ、いつものやつ頂こうかね」
「えっ? いつものやつ? でやすか?」
「あれだよ、あれ、、、モーパッサンは女の一生、ポムポムアップル、みちのく譲二ひとり旅、長野を忘れちゃいけねーよ、ビターズ昔はベネズエラ、今はすっかりトバコだよ、だよ」
「だよ、ったって、、、」
「何やってんだい、クマスター。『かしこまりました』って言って、復唱しないと。ほらほら」
「かしこまりました。モーパッサンは女の一生、ポムポムアップル、みちのく譲二ひとり旅、長野を忘れちゃいけねーよ、ビターズ昔はベネズエラ、今はすっかりトバコだよ、ですね」
「そうそう、さすがクマスターだね。客の言ったことを一発で覚えるとは、なかなか出来るとこじゃありませんよ。じゃ、もう一遍はじめっから、、、」
「あのー」
「なんだい?」
「こりゃなんか、落語の『寿限無』に似て、、、」
「お黙り」
~数日後~
「おう、いるかー」
「なんだ、八じゃねーか。何しに来やがったんだ」
「おうおう、客にてーしてその口の聞き方はねーんじゃねーか」
「いいかい八よ、よくお聞き。客ってななー、ちゃんと勘定払う人のことを言うんだ」
「てやんでい。ご隠居みてーな口利きやがってよ、、、そうそう、ご隠居から聞いてきたんだがな、えーっと」
「何だよ」
「熊、改め、、、モーパッサンは女の一生、ポムポムアップル、みちのく譲二ひとり旅、長野を忘れちゃいけねーよ、ビターズ昔はベネズエラ、今はすっかりトバコだよ、のご主人、クマスターってコクテールをおくれ」
「帰(けー)ってくれ」
