「いらっしゃいませ」
「いやー、マスター、ほんと寒いね」
「今日は風も強いですからね」
「いつもながら、店の中も閑散として寒いねー」
「温かいカクテルでもご用意しましょうか?」
「あっ、あれがいいや。この間、珍しく他にお客さんいて、その人が飲んでたやつ。もう、飲み終わりかけだったけど、コーヒー使った何とかって言ってた、、、」
「あー、アイリッシュコーヒーですね」
「そー、それ。コーヒー好きだし。もちろん、酒が入るんだよね?」
「アイリッシュコーヒーですから、アイリッシュウイスキーが入りますよ。カクテルブックによると、使うお酒によって、名前が変わるみたいで、例えば、、、」
「いいよ、いいよ。マスター、話し長いからさ。早く作ってよ、、、って、また、拗ねちゃったの?」
「別に拗ねてませんけど、そんなに早くは作れませんよ。特に、うちはコーヒー豆を挽くところから始めますから」
「えっ? 豆挽くところから? で、出来るまでに、どのくらいかかんの?」
「そうですねー、大体15分ぐらいですかね」
「えっ? そんなに待つの? この間のお客さんも、じーっと待ってたわけ?」
「いや、出来る間、ウイスキー飲まれていました」
「あー、あれなんじゃないの。本当は早く出来んのにさ、余計に一杯飲ませるための手なんじゃないの?」
「いやいや、僕から押し付けることはしませんよ。正直に時間かかることをお伝えするだけですよ」
「いや、俺は待つよ。余計な一杯は飲まないよ。なにがなんでも飲まないよ」
「どうぞ、ご自由に」
「あっ、それが豆挽くやつだね。何て言ったっけ? ミロ?」
「ミルですよ。ミロもコーヒーに近いですけどね」
「冗談ですよ。いやー黒光りしたきれいな豆だね。えー、そんなに入れんの?」
「ウイスキーと合わせますから、コーヒーを濃いめにおとしたいんですよ、、、っと、これでよし。じゃ、お願いします」
「えっ? お願いしますって、、、えっ? 何言ってんの? カクテル頼んだのは、こっちなんだけど」
「ええ。ですから、豆を挽いていただきたいんですよ」
「えっ? 冗談だよね。さっきのミロのボケより笑えないよ。ここは、客に働かせんの?」
「この間のお客様も、もちろん挽かれましたよ。当店ではアイリッシュコーヒーはオーダーされたお客様に豆を挽いてもらっています。ご覧になったことありませんでしたっけ?」
「ご覧もなにも、めったに他にお客さん見たことないし、、、何なの、その困ったような目は、、、分かったよ、分かりましたよ。挽きゃいいんでょ、挽きゃ」
「ありがとうございます。あっ、少々お待ちを。(ガシャガシャ、プチっ)じゃ、お願いします」
「えっ、何なの? レコードも代えたりして」
「ビル・エバンスにしては珍しくクインデット(5人編成)もののアルバム、『インタープレイ』ですね。このA面1曲目『あなたと夜と音楽と』が豆挽きに最適なんですよ。ほら、これですよ。これ。♪タラッタタラッタタター、タラッタタラッタター、タ、、、」
「はいはいはい、分かりましたよ。なんかさー、用意が良すぎて、あー、やだやだ。(ガリガリ、ガリガリ、、、)で、マスターは何すんの?」
「お湯沸かしたり、生クリーム軽くホップしたり、あと、洗い物が少したまってますから」
「洗い物って、誰か先客いたの? 珍しいこともあるもんだね。雪になんなきゃいいけど。(ガリガリ、ガリガリ、、、)そういや、豆挽いてて、ふと思ったんだけど、店にお客誰も来ないとき、何を挽くって言ったっけ?」
「あー、お茶を挽く、ですね」
「何でお茶なのかね?」
「廓(くるわ)言葉だと聞きましたよ。何でも、お客がとれない子には、お茶を挽かせていたかららしいですね」
「それで、お客が来ないことを、お茶を挽くって言うわけね。じゃ、マスターもさ、いつもお客来ないんだから、お茶ならぬコーヒー豆挽いときゃいいじゃないの。そしたら、いざオーダーあったときに、こんなに手間かけずに済むのに」
「それは出来ません。美味しいアイリッシュコーヒーのための基本中の基本、美味しいコーヒーを入れるためには、オーダーごとに豆を挽くようにしないと」
「相変わらす、頑固というか、なんというか。コーヒー豆の代わりに、その固い頭をミルで挽いてみたいね」
「ありがとうございます」
「(皮肉も分からないぐらい、凝り固まってるよ、、、ガリガリ、ガリガリ)ところで、アイリッシュコーヒーはアイリッシュウイスキーで作るって言ったけど、となると、アイルランドが発祥なの?」
「アイリッシュコーヒーだったら、そうでしょうね。何かの本で読んだんですが、プロペラ機主流の時代に、飛行機で大西洋横断となると、一回、アイルランドの空港で給油しなければならなかったらしいです。で、その時、空港のロビーで振る舞われたのが評判になって広まったと、その本には書いてありましたね」
「寒い時期にはありがたかったろうね。でも、飛行機が登場してからとなると、そんなに古いカクテルって訳でもないんだね」
「いや、たまたま飛行機とともに色んな国へ広まっただけで、実際にはもっと以前から作られ、親しまれていたんじゃないですかね。もっと言えば、アイリッシュウイスキーに限らず、お酒とコーヒーの組み合わせは、コーヒーあるところ、以前から広く親しまれていたと思いますよ」
「(ガリガリ、ガリガリ、、、)これさー、まだ、挽き終わんないのかな?」
「もう少しですから、頑張ってください」
「客に自分の仕事ふっといて、のんきに励ましてんのは、世界広しといえどもマスターぐらいだろうね」
「まあまあ、、、で、さっきの話の続きですが、コーヒーとブランデーの場合はグロリアってカクテル名になるんですが、実際、19世紀半ばから20世紀初めの頃の一連のフランス文学に出てくるんですよ。フローベールの『ボヴァリー夫人』、ゾラの『居酒屋』、プルーストの『失われた時を求めて』なんかに」
「この店を題材にしたら、失われた客を求めて、って物語が書けそうだね(ガリガリ、ガリガリ、、、)」
「、、、で、ですね、もっと遡って、18世紀のヴェネチアの劇作家、ゴルドーニの戯曲に『珈琲店』というのがあります。当時すでにコーヒーが広く飲まれていたことを伺わせますよね。劇中、店内でお酒を扱うシーンもありますから、ともすれば、合わせて飲んでいたことも考えられなくはないですよね」
「今日は映画じゃなく文学で攻めてるねー(ガリガリ、ガリガリ、、、)」
「映画ネタもありますよ、、、って、そんなにガッカリした顔をなさらないでください。ハワード・ホークス監督の西部劇『赤い河』(1948)で、ジョン・ウエインが野営しているシーンがあるんですが。 片手にコーヒー、片手にウイスキー(バーボンなのかな?)で、焚き火の側でくつろいでいるんです。で、詳しい内容は忘れたんですが、急に立ち上がってどっかに行く寸前、ウイスキーをコーヒーにぶちこんで、ぐいっとあおるんですよ」
「期せずして生れた、酒とコーヒーのカクテルってわけね」
「同じようなのに、エルマンノ・オルミ監督の『聖なる酔っぱらいの伝説』(1988)があります。これは作家ヨーゼフロートの同題名の小説を映画化したもので、パリを舞台にした一文無しの酔っぱらいのファンタジーなんですが、この主人公の酔っぱらいがカフェでコーヒーとラムを注文するシーンがあるんです。目の前に置かれたコーヒーカップとラムのストレート。どうするんだろうと観てたら、おもむろにラムをコーヒーにぶちこんで、カッとあおるんですよ。さっきおっしゃったように、これまた期せずして生れた、お酒とコーヒーのカクテルってわけですね」
「(ガリガリ、、、)うん?(カラカラカラ、、、)おっ、軽くなったよ」
「ようやく挽き終わりましたね。ありがとうございます。これをペーバーフィルターに入れて、コーヒーをおとします」
「いい香りだねー」
「おとしたコーヒーを砂糖、うちはカラメルを染み込ませたザラメを使うんですが、これを一緒に鍋に入れて、少し加熱して溶かします」
「そういや、どっかの店でグラスの中のウイスキーに火付けて角砂糖溶かしてんの見たことあるよ」
「あー、それは同じくアイリッシュコーヒー作ってるところですね。ただ、うちのこのザラメは溶けにくいんで、鍋の中でしっかり溶かします。ウイスキーに火付けて溶けるの待ってたら、アルコールが完全に飛んじゃいますからね」
「それだけは止めてよ。もったいない」
「そして、ここに、アイリッシュウイスキーを加えて、少し熱いぐらいかな、というところまで加熱してグラスに注ぎます。で、少し泡立てた生クリームを浮かべて出来上がりです。生クリームが冷たいので、コーヒーがぬるいと、口の中で余計にぬるく感じますからね。少々熱いぐらいがちょうどいいと思います。ただ、他のホットカクテル、例えば、ホットワインなんかをこの温度で提供したら、むせて飲めませんので、温度設定には注意しなければなりませんね、、、」
「マスター、マスターってば、飲んでいいの? 目の前に置かれたまま、延々と話しされてもさ。お預けくらった犬じゃないんだから」
「あっ、そうでした。お待たせして申し訳ありませんでした。どうぞお召し上がりください」
「では、早速いただきます。(クピッ。クピッ、、、)ふーぅ、いやー、いいねー。冷たい生クリームの下から、苦味の聞いた熱々のコーヒーがかけ上ってきて、鼻から抜けるウイスキーの感じといい、これは待った甲斐がありましたな」
「一仕事の後のアイリッシュコーヒーは格別でしょう?」
「一仕事は余計だけどね」
「アイリッシュコーヒーは初めてなんですよね」
「そうだね。豆挽いたのもね」
「そうでしたか、、、」
「マスター、何か話ないの?」
「そうですねー、、、」
「、、、、、、」
「アイリッシュコーヒーの発祥は、、、」
「それは、さっき聞いたよ」
「ブランデーで作るとグロリ、、、」
「それも、聞いた」
「まだ、寒いですかねー」
「冬だからね」
「えーっと、、、」
「やっぱ、マスターさ、コーヒー豆は事前に挽いときなよ、挽く間に話しし尽くしちゃってさ、いざ飲み始めたとたん、こんなに無口になっちゃしょうがないよ」
「いや、豆挽くとき流すレコードを代えましょう。バド・パウエルのピアノか何か、話す暇がないくらい、アップテンポなやつに」
「僕を殺す気ですか」