テーラーの仕事。その一歩目はまず採寸。しかし、人生は採寸する如く予め測れない。
角川シネマ有楽町で、本日から公開のギリシャ映画『テーラー 人生の仕立て屋』を観賞です。ギリシャの映画は初めて。昔、『マイ・ビッグ・ファット・ウエディング』(02) って、ニューヨークを舞台にしたギリシャ系移民の家族劇は観たけど。アメリカ映画だし。
輝く太陽、マーケットの喧騒、白壁の家々、あー、これがギリシャなのね。アテネなのね。かたや東京はシトシト。公開初日なのに観客10人ほど、ちと寂しい。
で、本作。高級紳士服の仕立て屋を父親と営む主人公。寸分の隙も無い完璧なスーツ姿で客を待つものの、誰も来やしない。
銀行からは差し押さえを食らい、父親は倒れ入院。よし、誰も来ないならこっちから出掛けよう、移動式の屋台で。えっ?
それなのに、高級スーツ。あーあ、こりゃダメだ。
と、そのとき、ウェディングドレスは作れないの?と、オバチャンから訪ねられたのをキッカケに、、、
腕一本で食っていく職人。確かな腕と信頼があればなんとかなる。しかし、それを活かす場所がないとね。そのチャンスが訪れないとすれば、自ら切り開いていくしかない。
小気味いいリズムと共に進む前半のスットボケタ表情や仕草が、徐々に徐々にシマっていき、師匠でもある父親時代の既成概念を打ち破った、その表情の晴々としたことよ。
伝統の継承は、常に変化を採り入れていくものであろう。
変わらないのはね、ウエディングドレスを来たときのね、花嫁の幸せな表情、これね。