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サイレント映画『タルチュフ』と『ミカエル』

台風、大雨もなんのその、引き続きシネマヴェーラ渋谷で開催されています「素晴らしきサイレント映画」特集に出掛けまして、本日はドイツ映画二作品、F・W・ムルナウ監督の『タルチュフ』(25) と、カール・Th・ドライヤー監督の『ミカエル』(24) を立て続けに観賞です。

『タルチュフ』といえば、17世紀のフランスの劇作家モリエールの戯曲ですね。モリエール、三作品ほど読んだことありますが、これは読んでなかった。でも、大まかな内容は、タルチュフという名の偽りのキリスト信心家が、主人らを騙して裕福な商人の家に居座り、財産や美しい娘を我が物にしようと企む内容だったかと。
映画はこの戯曲をベースにしています。

ある老人が家政婦にうまいこと言いくるめられ、財産を彼女に残すとの遺言を書かされた上、日々徐々に徐々に毒を盛られ。
そこに帰ってきた、老人の孫。一旦追い出されるものの、家政婦の企みを見抜き、移動映画の興行師に変装し(俳優を生業としている設定)、老人宅で二人を前に、タルチュフという映画を上映。内容は大体上記の如し。

上映終了と共に、タルチュフに勝るとも劣らない、家政婦の、いや、ゴーツクババアの偽善者ぶりを告発、家から追い出してしまう。ゴーツクババアは表に集まってた子供達から「タルチュフ、タルチュフ」と嘲笑を浴びせかけられ、めでたく幕となる。

映画の中に、更に映画が組み込まれ、この映画によって老人は救われるとともに、いかにタルチュフのごとき偽善者が、我々の身近にいるか、という映画でありまして。
あー、うまく説明出来ませんが、これから偽善者を見かけたら、タルチュフ!と読んでやりましょう(タルチュフだらけになってしまいそうな)。

そして、もう一本の『ミカエル』。巨匠の画家が美青年のミカエルと出会い、モデルとともに養子にもし、モデルとしての魅力それ以上に、息子としての、もっと云えば同性愛的な感情の中で、彼に振り回され、悲壮な最後を迎えてしまう、、、

これは本当に美しい映画です。同館での前回の「恐ろしい映画」特集で、ドライヤー作二本観ましたが、これも本当に美しい。特にこの作品は画家や上流社会が題材ですので、セットから細々したものまで全てが芸術に包まれており、ワンカット、ワンカットに写り込む全てが美しいのです。

あー、ほんと良かった。ムルナウもドライヤーも。こういう美しい映画を観ると、イヤー、ほんとにね。言葉ではなかなかね。
まあ、サイレント時代の巨匠、特に美的センスに卓越した二人ですから、当たり前と云えば当たり前ですが。