先月末から神保町シアターで「生誕百年映画祭」というのが開催されていまして。
同館の運営母体、小学舘が創立百年ということで、同じく1922年生まれの著名人に関した映画の特集企画。
同館の運営母体、小学舘が創立百年ということで、同じく1922年生まれの著名人に関した映画の特集企画。
うち、本日は昭和36年の新東宝作品『かあちゃん』(61) を観賞です。戦後間もない東京下町は向島の、貧乏長屋に暮らすブリキ職人一家の物語。
なんかね、観てて、昔のデ・シーカとか、現代のケン・ローチ辺りを思い出してしまいましたが(劇中のとあるエピソードはまさしくデ・シーカへのオマージュですね)、これら西欧の二元論が、論理的に人生論的に落語論的に無意味としか思えないほどの、まさしく貧乏の極致にありながら、それを楽しんでるとしか思えないような、この痛快、爽快感よ。
そして、やはりというか、なんと云うか、一家を“取り仕切る“女房の肝っ玉の座りかた。
世の男どもよ、全ての女性に跪け。その、日頃は気付きもしない深く刻まれた手の皺に、熱きクチヅケを、それをなすことの許しを与えてもらいなさい。
あーあ、かあちゃん、ありがとう。
ついでに、日本映画よ、ありがとう。
と、そうだよ、バス停の「曳舟」の表示で改めて思ったのですが、ここいらは今じゃ、スカイツリーの、、、豊かさって、なんだろね。