店主は気まま、客は我がまま。そんな気楽な銀座のBAR。でも、それでいいんじゃないの?

『顔のない眼』

引き続き、新宿はK’sシネマで開催されています「奇想天外映画祭2022」に、またまたまたまた出掛けまして、本日はフランス映画、ジョルジュ・フランジュ監督の『顔のない眼』(59、イギリスとの合作) を観賞です。

三、四年前でしたか、今は休業中の恵比寿ガーデンシネマで、フランス最古の映画会社とされるゴーモン社の特集の際にこれもあり、しかしスケジュール合わず観れず、ようやくの観賞です。

事故で顔に大火傷をおってしまった娘。世に名高い医師のお父さんは、表向きは娘が死んだことにした上で、助手(愛人?)の手を借りて、そこいらの美しい娘を誘拐し、顔の皮膚を剥がして娘に移植しようとするものの、、、

観ててね、金田一耕助シリーズの助清とか、勅使河原宏監督作で安部公房原作の『他人の顔』とか、アルモドバルの『私が生きる肌』とかが次々に浮かんできて。

それでも、冒頭、のっけからの、かつ中途の、ストーリーのオドロオドロしさを嘲笑うかのような、陽気なバックミュージックの“違和感“に、上映終了後、なんか一杯やらずにはいられないような。
焼鳥屋さんで、ビールの後、出身地辺りの日本酒あったもんですから、調子にのったら、なんかフワッフワッ。

おっ、そうだよ。見るも無惨な火傷を隠すために仮面を被った娘。この歩き方が、他の登場人物とは一線を画す、生きた人間とは思えぬフワッフワッ。
娘“再生“のために、いくら皮膚を移植しようとも、すでに“人間でない“ものにやったところで意味は無し。

最後の、行き急いだかのような、唐突な、それでいて、あまりにも詩的なラストシーンこそ、この映画祭のタイトル「奇想天外」そのものではなかろうか。

(フランジュが撮ったコクトーの『山師トマ』もいつか観たいなー)