またまたヒューマントラストシネマ渋谷でのゴダール映画祭に出掛けまして、本日は『ゴダールのマリア』(85) を観賞です(別監督による短編『マリアの本』と、ゴダールによる長編『こんにちは、マリア』の二部構成)。
なんかの本で、マリアの処女懐胎って、聖書の誤訳が基だって読んだんですが、その“間違い“が翻って、処女性ってものを教義にも崇高なものにも、行き過ぎて、強迫観念にもし。
その処女懐胎が、現代のとあるガソリンスタンドの娘マリアにも降りかかり。
あらゆる科学が発達し、宗教的神話をことごとく覆してる現代において、性なき懐妊がありうるのか。
そりゃ、マリアの恋人も、他の男との関係を疑うよね。
苦悶の末に現代マリアは現代クリストを産み落とすのですが(クリストは荒野に去っていくお約束)。
ラスト、自らの唇をルージュで彩り、円く開け放つマリア。
あー、男どもよ、そこに飛び込もう。
宗教ってなんだろう、、、