店主は気まま、客は我がまま。そんな気楽な銀座のBAR。でも、それでいいんじゃないの?

ギョームブラック『宝島』

もう十年ぐらい前になんのかな、『女っ気なし』からずっーとユーロスペースで、ギョーム・ブラック監督の作品、観続けてんだけど。そして、本日、ようやく観れました『宝島』。

以前、クリエーターっぼい、若者二人の会話が聞こえてきて。
一人が熱弁をふるうのです。

「ドアノーってフランスの写真家知ってる? これさ、『パリ市庁舎前のキッス』って云うんだけど、凄くない? しかもさ、たまたま偶然の一瞬らしいんだよね。俺らの仕事もさ、こんぐらいのもんを作っていかないと」

僕はね、突っ込みたくてならなかったのです。
いやね、あれは“仕込み“なんだよ、と。
しかし、彼のあまりの熱さに、志の高さに、控えまして。
まあ、いずれ分かるだろうし、、、

いや、分かったからってそれがなんだろう。仕込みだろうがなんだろうが、素晴らしいもんは素晴らしいんだよね。てか、仕込んだからこそ、それは芸術なんだよね。

と、このギョーム・ブラック作品。ドキュメンタリーを基調とした仕込みのうまさ。
現代ネオレアリズモとも呼ぶべき。

これ観てますとね、ほんと、宝島ってのは、場所と云うより、人そのもの。そして、待ってるもんじゃなく造り出していくもんなんだとね。

あー、夏も終わり、人も去っていく。
この物悲しさは日曜夜のサザエさん。
ギョーム・ブラックの、お約束でもある。