抑圧された女性の性と云うものは、ニューヨークのネオンに彩られた男性の欲望の如く、まざまざとあからさまに表出することはなく、それは詩や爆弾や、ゴダールの如き断片的な抽象として現れる。
と、引き続き渋谷はシアターイメージフォーラムで開催されていますベット・ゴードン特集に出掛けまして、本日は残りの二作品、短編『エニバディズ・ウーマン』(81) と中編『エンプティ・スーツケース』(80) を観賞です。
先週始まったばかりなのに、スクリーンは小さな箱の方に移され(大きな箱ではジーナ・ローランズ特集が)、しかも観客僅か十人ほど。寂しいなー。
露骨な性表現等々、時代にそぐわないのだろうか。裏を返せば、これ程この時代を赤裸々に表現したものもなさそうで。
これから二十数年後に、同じアメリカの女性監督(俳優も)グレダ・ガーウィグが、穏やかな『エンプティ・スーツケース』の如き作品を作っておりますが。
“穏やか“と云うのは、抑圧への反抗とか、そんなんではなくて、虚無感と云えばいいのか、そんなもんが充満してて。
時代は変われど、どっかに歪んだもんは転がってるわけで、それを女性特有の観点から切りとっていく、それはそれで興味深いことではありますな。
