店主は気まま、客は我がまま。そんな気楽な銀座のBAR。でも、それでいいんじゃないの?

『羅生門』

神保町シアターで昨日から始まりました特集「女優魂2025」。12人の女優それぞれの代表作を同シアターがセレクト。

本日は時代物の妖艶さにかけては右に出るものなし、京マチ子から、昭和25年の大映作品『羅生門』(50) を観賞です。監督はもちろん黒澤明。

降り続く雨にけぶり湿った、半ば朽ちかけた羅生門と、降り注ぐ木漏れ日に乾ききった、朽葉むせ返るような藪の中との対比。

その舞台を自由にいきかい、クロサワ‘’龍之介‘’は芥川の原作のさらに先を、饒舌なまでに描くのである。

藪の中で暴れ回った挙句の台詞が、ただただ、ゼイゼイ、ゼイゼイ、この喜劇への昇華。
三船の股から京マチ子と森雅之を捉えるショット、あらゆるものが音楽とともに疾駆し、やがて迎える、とってつけたような静寂のラスト。

ハリウッド黄金期のあちらの、九十分ものの何かをみせつけられたような、、、まあ、いいや。

しかし、門というものは使い勝手のよい舞台装置なのである。それはオープニングになり、エンディングになり。